投手・大谷翔平の『進化史』【大谷翔平物語】
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大谷選手がロサンゼルス・ドジャースに入団することが決まり、2024年は打者に専念しつつ投手としてリハビリを続けることがわかっています。2022年に規定投球回と規定打席を両方達成し、二刀流で素晴らしい成績を達成した大谷選手ですが、その評価は打者としてのものが大きく、投手としての評価はまだ打者ほどではありません。
サイ・ヤング賞の投票でも2022年は4位に入っていますが、シーズン規定投球回に達したのはこの年だけなので、それも仕方ないことではあります。
しかし、大手スポーツ誌「スポーツ・イラストレイテッド」に所属するMLBインサイダーを自称するトム・ベルドゥッチ記者は、大谷選手の投手としての資質についてこのように語っています。
「ショウヘイ・オオタニは球界屈指の球を複数持っている」
「こんな投手は見たことがない」
「サイ・ヤング賞3度のペドロ・マルティネスは3種類の球が決め球だったが、大谷は5種類の決め球がある。それも見せ球なんかじゃない。正真正銘の決め球だ。この男はまさに、マウンド上のユニコーンだ」
また、高校時代野球部のチームメイトだった小原大樹さんも、大谷選手が現在までに大きな成長を遂げていることを取材で話しています。
「投手としては、無理せずアウトを積み重ねていた印象です。あくまでも高校時代の話になるのですが、当時はゲームを作る投手ではなかった。今、なんでそんなピッチングできるの? どんな気持ちで投げているの? って聞きたいですね。それぐらい緻密な翔平を見られた。同じ人が野球をやっているのに、全く違う選手に見えました」
恵まれた資質もありながら、努力も重ねて素晴らしい投手となっている大谷選手ですが、小原さんは高校時代の大谷選手を全く逆の選手だったとして、このように語っています。
「体づくりもこだわっていましたけど、ピッチングは大ざっぱな印象です。変化球が投げられなくて、『カーブどうやって投げてるの』と大谷から聞かれたぐらいですからね。高校時代は自分自身の身体能力に、頭が追いついていなかったのだと思います。投球でボールをコントロールすることとかは苦手だったと思います」
このように、大谷選手の高校時代は身体能力が突出しすぎてコントロールが上手くいかない場面もあったようです。しかし、日本ハムファイターズに入団後もトレーニングを続けたことで、大谷選手は少しずつ自分の体を自在に操れるようになっていきます。2016年に日本ハムがリーグ優勝を果たした際には、大谷選手はインタビューで次のように答えています。
「負けた日もそうですが、1週間、2週間はやっぱり落ち込みますね。今シーズン優勝していなかったら、それもまた落ち込んでいたと思うんですけど、それをどうやって次につなげるかということが大事かなとは思います。僕は無駄な試合や無駄な練習というのはないと思っているんです。頑張って何年続けても結果が出ないという練習の仕方というのは確実にあると思うんですが、それを失敗だと気づいて違うことに取り組めば、そこで1個「発見」があって、それがどんどん成功につながっていくのかなと思っています」
このように大谷選手は高校生の頃から現在まで、投手としても一歩一歩確実に成長することでメジャーでもシーズン10勝以上できる投手となったのです。そこで今回は二刀流である大谷選手の投手としての一面に注目し、大谷選手がどのように進化してきたかを紹介していきたいと思います。160km/hを投げる投手になった大谷選手の、資質だけではないすごさを再発見できる動画となっておりますので、ぜひ最後までご覧ください。
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それではさっそく参りましょう!
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